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通天橋で有名な東福寺の歴史と魅力

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臨済宗東福寺派大本山、慧日山東福寺は、嘉禎2年(1236年)から建長7年(1255年)まで17年間を費やして完成しました。開基は摂政九條道家、開山は聖一国師です、奈良の東大寺と興福寺の一字ずつをとり、京都最大の伽藍を造営しようとの念願で、最初は天台・真言・禅の各宗兼学の堂塔を完備しました。

その後三度の相次ぐ火災により大部分を焼失した後、貞和3年(1346年)に、前関白一条経道により仏殿の上棟が行われる等して復興し、足利義持、秀吉、家康らによって保護され京都最大の禅苑としての面目を伝えて明治に至りましたが、明治14年12月に仏殿・法堂、方丈、庫裡を焼失し、大正6年から本堂再建に着手、昭和9年(1934年)に落成しました。建武元年(1334年)の被災の直前にはすでに京都五山の中に列せられていたので、その後の再建に当たっては完全な禅宗寺院としての寺観を整えることとなりました。

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東福寺の建築物

山門は、1425年に足利義持が再建したもので、現存する禅寺の三門としては日本最古です。上層に釈迦如来と十六羅漢を安置し折衷様の五間三戸二重門です。

昭和9年に完成した本堂(仏殿兼法堂)は、入母屋造、裳階付きの高さ25.5m、間口41.4mの大規模な堂で、昭和初期の木造建築としては最大級の建築です。天井の龍の絵は堂本印象筆、御本尊の釈迦三尊像(中尊は立像15m、脇侍7.5m)明治14年の火災後に万寿時から映された仏で鎌倉時代のものです。

主要伽藍の北側に位置する常楽庵は開山堂とその手前の昭堂を中心とした一画にあり、1819年の焼失後に再建されました。昭堂の中央部分は2階建の楼閣となっており、伝衣閣といいますが金閣、銀閣、飛雲閣等と並び京の五閣といわれています。

禅堂は1347年に再建された、豪壮な姿の建物で、単層・裳腰付き切妻作りで、中世から現存する最大最古の禅堂です。

聖一国師と東福寺

開山の聖一国師は、園城寺(三井寺)で天台の教学を修め、のち、栄西の高弟行勇・栄朝について禅戒をうけ、1235年に34歳で宋に渡り6年間滞在の後帰朝しました。1246年から東福寺開山として常住します。宮中をはじめ全国でその学徳が讃えられ、1254年には鎌倉幕府執権北条時頼に招かれて鎌倉寿福寺に住しています。79歳で東福寺にて入定し、臨済宗妙心寺開基となる花園天皇より贈られた聖一国師の号は日本禅僧で最初の賜号です。

禅の思想が表現されている東福寺

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東福寺の見所は建築物のみでなく、庭園を含み境内一円が禅の思想に基づきその考えが実現されていることを念頭において見ていくと理解し易いです。

「八相の庭」

本坊方丈の庭園は昭和14年に作庭家・重森三鈴により築造されました。東西南北に4つの庭が配されて、「八相の庭」と称します。禅宗の方丈には古くから名園が残されていますが、方丈の四方に庭園を巡らせたものは東福寺方丈のみで、鎌倉時代庭園の質実剛健な風格を基調に、日本の伝統的意匠を活かし、現代芸術の抽象的構成を取り入れた近代禅宗庭園の白眉です。この庭を作るに当たって寺から示された唯一の条件は、本坊内にあった材料はすべて廃棄することなく、もう一度再利用するということで、これは禅の教えである「一切の無駄をしてはならない」という考えに基づくものです。

東庭に表わされているのは北斗七星

東庭に表わされているのは北斗七星で、高さの異なる円柱を7個配置し、白川砂に文様を引き、苔、背後の二重生垣によって表現しています。円柱は山内の東司の解体の時に余材として出た礎石を使用したものです。三鈴は多数の古庭園の実測調査により得た膨大な情報と、234庭の古庭園を取りあげた「日本庭園史図鑑全26巻」を上梓した直後であって古文献から日本庭園と四神相応のつながりが深いことを知り、そこから星座を用いての日本庭園史上初の星座表現の手法が生れたといいます。

南庭は日本庭園の定型的な表現方法

南庭は日本庭園の定型的な表現方法で、蓬莱神仙思想を中心とした意匠となっていますが、石組では6mほどの長い石を立石とのバランスを取りながら横に寝かせており、古庭園ではほとんど例のない石の扱い方で従来までの石組とは異なる新しい手法です。築山も従来は自然の山の表現であった苔山を、京都五山として表現しており、しかもここは石を一切使用せずに山の大きさや高さによって造形的な美を作りだしています。築山のところは、斜線上に苔と白川砂の仕切りが設けられており、この手法は西側、北側の庭園にも用いられます。

西の庭園は、大市松文様「井田の庭」

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西の庭園は、大市松文様「井田の庭」といわれ日本古来の伝統的な市松文様をサツキの刈り込みと葛石の使用により表現しています。北庭は、小市松文様の庭園で、西庭の大市松文様を受けてさらに小さな姿となり、東北方面の谷に消えていくという表現方法をとっています。

まとめ

鮮やかな紅葉の風景等で有名な通天橋は仏殿から常楽庵に至る渓谷・洗玉澗に架けられた橋廊で、天授6年(1380年)に春屋妙葩が谷を渡る労苦から僧を救うた架けたと伝わります。境内には宋から伝わった通天モミジ等紅葉の木が多いですが、もとは桜の木が植わっていたのが、後世に遊興の場となるという理由で伐採され、カエデの木が植えられたといいます。


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