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「足るを知る」龍安寺のつくばいに刻まれた文字の意味

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「龍安寺」と聞けば、真っ先に「石の庭」を思い浮かべる方がほとんどだと思います。しかし、室町時代中期からの歴史あるこのお寺には、他にも様々な見所があります。そのうちのひとつに、「知足のつくばい」と呼ばれているつくばいがあります。

茶室蔵六庵(ぞうろくあん)の露地(茶室に付随している庭)にひっそりと置かれているこのつくばいは、ただのつくばいではなく、文字が刻まれています。実は深い意味が込められているこの文字の意味について、ご紹介します。

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「つくばい」とは何か?

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そもそも「つくばい」とは何だろう?と思う方もいるかと思います。これは、漢字で「蹲踞」と書き、その名の通り跪いて使う手水の形式のことです。手水は茶の湯の際、手や口を清めるために欠かせないものであることから、露地に据えられています。

また、跪いて使う、という所作が茶の湯の精神に通ずることもあり、つくばいが発達することとなりました。自然石で作られることが多く、様々な形のものがありますが、露地の景観に合わせて用いられています。

龍安寺の「知足のつくばい」

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龍安寺のつくばいは、石の庭がある方丈庭園の反対、方丈北側にあります。このつくばいがなぜ「知足」と呼ばれているのかといいますと、読んで字のごとく、そのように文字が刻まれているからです。

中央に四角く水を溜める穴があり、それを「口(くち)」に見立て、周囲に4文字、口の上に「五」右に「隹」下に「疋」左に「矢」と刻まれています。これを上から時計回りに「口」を付けて読んでみると、「吾唯足知」(われ唯だ足るを知る)となります。

徳川光圀の寄進

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このつくばいは、いわゆる水戸黄門として親しまれている、あの徳川光圀公から寄進されたものである、と伝わっています。光圀公の功績のひとつに『大日本史』という歴史書を編纂したことがあります。この時、京都・奈良をはじめ、九州や東北地方などにも人を派遣して史料を集めており、龍安寺もこれに協力し、その返礼として知足のつくばいを寄進されたのではないか、ということです。

光圀公は助さん角さんをお供に引き連れて勧善懲悪、大立ち回りしていたイメージがあるかと思いますが、実際は諸国漫遊をしていたわけではなく、水戸藩の2代目藩主を務め、幕府からも信頼された名君でありました。『大日本史』編纂にあたっても、協力してくれた寺院や人に対して丁寧にお礼の手紙などをしたためた、という逸話が残っています。

足るを知る

「吾唯足知」とは、「私はただ足ることを知るだけである」という意味です。「足ることを知る」とは、自己の本分に安んじて貪りを捨てること、すなわち満足することを知る人は、少しも不平不満の心を起こさないため、心に落ち着きがあり、不安がない、ということを表しています。禅道にも通ずる深い意味が込められているのです。

よく「隣の芝生は青く見える」と言いますが、他人を羨んだり、分不相応のものを欲しがったり、手に入れられないものに対して不満を抱くのではなく、己を知り、自分を抑えて現状に満足することが出来る人は、常に満ち足りていて心がなだらかである、ということです。

釈迦の教え

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「知足」は仏教でも多く説かれており、釈迦が入滅前、最後に示した教典『遺教経(ゆいきょうきょう)』に「知足の人は地上に臥すといえども、なお安楽なりとなす。不知足の者は天堂に処すといえども、また意にかなわず。不知足の者は富むといえどもお、しかも貧し。知足の人は貧しといえども、しかも富めり。不知足の者は常に五欲のために牽かれて、知足の者のために憐憫せらる。これを知足と名づく」と説いています。

これは、欲望はどこまでいっても尽きることがなく、永遠に満足することは出来ない。満足することが出来ないということは、常に不平不満を抱え憐れである、己の本分を知り、欲を捨てれば心に平安が訪れる、ということを言っています。

尽きない「欲」

「知足」については、『遺教経』だけでなく『法句経』などでも説かれています。また、釈迦だけでなく老子や荘子も「足るを知る者は富む」と力説し、江戸時代の茶人松平不昧(まつだいらふまい)も「茶の本意は知足を本となす」と語っています。人間は国や時代に関係なく、はるか昔から変わらず己の欲に悩み続けている、「欲」を克服することは非常に困難である、ということでしょう。

まとめ

「足るを知る」の意味についておわかりいただけたでしょうか。知れば知るほど深い教えがこのつくばいに込められています。人間の「欲」を戒める言葉ではありますが、解釈の仕方によっては色々な意味に捉えることができると思います。釈迦のように達観するのは難しいですが、龍安寺の「知足のつくばい」を前に、暫し自分自身について考え、自分なりの解釈を見つけてみるのもよいのではないでしょうか。

茶室蔵六庵は通常非公開ですが、露地には太閤秀吉に称賛された侘助椿もありますので、石庭を鑑賞した後に合わせてお楽しみください。


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