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金戒光明寺と新撰組の関係と観光の見どころ

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金戒光明寺は、京都市左京区黒谷町にある浄土宗の寺院で、地元の人から、くろだにさんと呼ばれ、親しまれていますが、この寺院は、比叡山を下りた法然上人が草庵を結んだ地として、浄土宗最初の寺院でもあります。

そして、この寺院は、四季折々の美しい景色を見ることができる閑静な立地にある浄土宗大本山のひとつであり、知恩院とも並ぶ高い格式で、優れた重要文化財が納められていますが、また、徳川家との縁が深い寺院としても知られています。

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金戒光明寺と新撰組の関係

金戒光明寺と新撰組の関係は、幕末に幕府から命を受け京都守護職となった会津藩主松平容保が本陣を構えたのがこの寺院であり、松平容保公が京都の治安のための取締りに任命したのが新撰組でした。この時代、京都の町は暗殺や強奪などが日常化し、非常に治安が悪くなり、人々の不安は上限に達していたため、これを憂いた十四代将軍徳川家茂は、京都の治安維持のため、京都守護職を新たに作り、会津藩主松平容保をその職務に任命しました。

幾度と無く京都守護職に任命されることを固辞した会津藩でしたが、藩主松平容保の京都守護職に就く意思は固く、やがて家臣もそれを受け入れ、君臣一体となって文久二年12月24日、三条大橋に家臣一千名を率いて到着し、本陣となった黒谷金戒光明寺に会津行軍が一里あまり続き、京都の人々の熱狂的な歓迎を受けました。

そして、新撰組と会津藩の関係は、文久二年、幕府が上洛警備のために浪士組を結成したことから始まりますが、翌年2月に240名の浪士組が江戸から中山道を通り、京都の壬生に到着したものの、生麦事件勃発により、清河八郎他200名以上の浪士が江戸に帰り、清河と意見を異とした近藤勇、土方才蔵らは、水戸浪士芹沢鴨等と京都残留を熱望し、嘆願書を守護職宛に出しました。

その結果、黒谷にて、京都守護職松平容保に拝謁がかない、新撰組の命名とともに、市中取締の命を受け、その後の新撰組は、京の都を縦横無尽に走り回る怒涛の働きをして治安維持に勤め、京の町は、みるみる治安が回復していったという時代背景があり、会津藩と新撰組の良好な関係が成り立っていきました。

金戒光明寺の構造

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このような時代を駆け抜けた背景を持つ黒谷金戒光明寺は、昭和9年、御影堂、大方丈は火災により焼失しましたが、その他の建物は往時のままであり、多くの歴史的建造物と重要文化財が観光のみどころとなっています。

大本山で壮大な伽藍を持つこの寺院の山門は1860年に完成したもので、後小松天皇の浄土真宗最初門の勅額がありますが、そのほかに、2代将軍秀忠の菩提を弔う文殊塔、そして、その妻で茶々の妹として知られる江の供養塔があります。

そして、阿弥陀堂は、1605年、豊臣秀頼によって再建された建物で、本尊阿弥陀如来が納められていますが、こちらの如来の腹中には、一代彫刻の使用器具が納められていることから、乙女の如来、ノミ納め如来とも称されています。

また、御影堂の内陣正面には、宗祖法然上人75歳の座像が安置されていますが、こちらの建物は、昭和19年に再建され、昭和の模範建築物ともいわれていて、堂内の光線と音響に一際、細部にわたる注意がされているのが特徴です。

金戒光明寺の見どころ

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重要文化財の千手観音のように多くの手を持つ吉備観音は、1200年前、遣唐使、吉備真備が中国から持ち帰った栴薩を刻んで吉田寺に安置しましたが、廃寺となり、こちらの御影堂に安置するようになりました。なお、江戸時代初期、二代将軍徳川秀忠公菩提のために建立した三重塔に中山文殊が安置されていますが、本尊の文殊菩薩と脇侍の像は、鎌倉時代の天才仏師である運慶作で、近くには、秀忠公の妻で、茶々の妹としても知られる江の供養塔もあります。

そして、観光のみどころとして、特筆すべきは、金戒光明寺の奥の階段を昇った山の上の墓地に、整然とした會津藩殉難者墓地があり、慰霊碑が祀られていますが、會津松平家は、神道であった関係で七割ほどの人々は神霊として葬られています。

會津小鉄の墓

また、會津墓地西側の西雲院庫裡前には、侠客、會津小鉄の墓がありますが、この會津小鉄とは、會津藩主松平容保が京都守護職在職中に、新選組の密偵として大活躍をした人物で、會津小鉄は、その後、會津藩が鳥羽伏見の戦いで賊軍の汚名を着せられ、戦死者が路上に放置されたことから、迫害も怖れず、子分を総動員して戦死者を近くの寺で荼毘に付し、供養を行い、黒谷會津墓地を西雲院の住職とともに死守し、清掃と整備に尽力した人物として知られています。

そのため、現在においても、六月の第二日曜日には、この西雲院にて會津松平家当主列席の下、京都会津藩主催の會津藩殉難者追悼法要が盛大に開かれています。そして、金戒光明寺は、桜や紅葉の隠れた名所としても知られていて、春の山門の前のソメイヨシノや、会津藩墓地近くの極楽橋近くの見事な桜のほか、秋には山門の周りを美しい紅葉が彩りますが、奥の庭園、紫雲の庭や門前でも、見事な紅葉を静かな気持ちで眺めることができます。


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