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十三まいりで有名な法輪寺の魅力と電電宮

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京都右京区の名勝、嵐山の山腹に十三まいりで有名な智福山法輪寺があります。京福電鉄嵐山から200mほど西にあるこの寺は大堰川(桂川)に架かる渡月橋を渡ったところにあります。

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桂川は平安時代の歴代天皇の遊覧地

桂川は、左京区広河原を源として、亀岡盆地、京都盆地の西南部を貫流して淀川にそそぐ京都最大の河川の一つで、全長は114㎞、寛和2年(986年)一条天皇がこの川で舟遊びする等平安時代の歴代天皇の遊覧地でした。古くは川村瑞賢らによる水路開削により材木輸送の水運で賑わいました。一般に上桂川水系の上流を大堰川、中流部を保津川、保津川下流部の右京区嵐山渡月橋付近では大堰川とよんでいます。

渡月橋と嵐山

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渡月橋は9世紀半ばに弘法大師空海の弟子の道昌がかけたのが最初です。

渡月橋の西側に標高381.5mの嵐山がそびえています。嵐山は古くから歌枕の地として多くの歌のに詠まれていて、春は桜、秋には紅葉の名所として有名で、桂川両岸一帯を含めて嵐山と呼ばれており、早くから公園整備が行われてきた、京都観光の一大スポットの一つです。
智福山法輪寺の通称は、虚空蔵法輪寺あるいは嵯峨の虚空蔵さんなどと親しまれているように、御本尊は虚空蔵菩薩です。

葛井寺が現在の法輪寺の起源

西暦4世紀の頃すでに現在の寺域に三光明星等を祀った葛野井宮というお宮がありました。

大陸からの渡来人、秦氏一族は彼ら伝来の農耕技術を活かした農業をはじめ、製糸・染織等中国の工芸を活かして殖産に励み、この地の住民もその影響を受けて励んだことから、この地域が次第に文化工芸の中心となってきた時代であって、秦氏一族が祖神として崇敬していた葛野井宮を中心として発展したこの辺りは葛野と呼ばれていましたが、和銅6年(713年)に元明天皇が行基菩薩に命じて「木上山葛井寺」を建立させ、国家安穏、万民繁栄、五穀豊穣等の勅願所としました。

この葛井寺が現在の法輪寺の起源であり、行基菩薩を開基とする、古義真言宗に属しています。以後歴代天皇の勅願所であるとともに、弘法大師、明恵上人等各宗の祖師方がここに参籠する等しています。

葛井寺が法輪寺に改名

桓武天皇が延暦13年(794年)に平安遷都を行い、葛野も葛野井宮を中心に発展することになりますが、弘法大師の弟子の道昌が、承和年間(834~847年)に勅願により大堰川を修築し、橋を架け、船筏の便を開きました。その時の架橋がのちに渡月橋となります。

道昌は、この交通の便を開くと共に、下流の桂、川岡、向日の数千町歩に及ぶ荒れ野原に河水を流して田畑を開拓する等したため、住民からは行基菩薩の再来と慕われたとのことで、また、師の弘法大師の教示により虚空蔵求聞持法の百日間参籠をし、満願の時に生身の虚空蔵菩薩を空中に感得したことから一木から虚空蔵尊像を彫り、その木造を神護寺において弘法大師自らの供養を経てこの葛井寺に安置しました。

その直後、貞観10年(868年)葛井寺が現在の寺名に改められたと伝わっています。

応仁の乱と法輪寺

応仁の乱等で荒廃した寺は修復を繰り返して幕末までいたりますが、1864年の蛤御門の変の際に、長州藩が渡月橋を挟んで対岸の天龍寺に集結していたため戦でことごとく焼失し、本堂を明治17年(1884年)に再建、その他の諸堂も順次整備され大正3年(1914年)に往時の寺観を復興し現在にいたっています。

十三参りと法輪寺

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御本尊の虚空蔵菩薩は、虚空の名の如く大空(宇宙)を現し、大きな法蔵をもち、その蔵の中に限りない智慧と福徳を納めていて森羅万象や生物等の一切の物を包括し、絶えず自然の恩恵を平等に与えるとされていて、人間を含む万物の育成を守護するという霊験があるため、干支を一巡し、幼少期から青年期へと転換する十三歳の時に虚空蔵菩薩に祈願する習慣が生れました。

古くから京都で行われてきた習慣で、数え年13歳に成長した男女が、成人の儀礼として3月13日から5月13日までの間に法輪寺に参詣し、13歳の厄難を払い、智慧を授かりに行く伝統行事です。帰りには頂いた智慧や福徳をなくさないように、渡月橋を渡り終えるまで後ろを振り向かないという風習があり、現在は春のみでなく秋10月から11月の期間にも十三参りが行われています。

法輪寺の鎮守社としての雷電宮

法輪寺の境内には、鎮守社として雷電宮があります。道昌が、百日間の求聞持法を修し、満願の日に井戸で水を汲んでいる時明星が天より降り注いで虚空蔵菩薩が来迎したと伝えられていて、本尊の顕現としての」明星天子を本地として雷電明神を主神とする明星社が祀られていましたが、幕末の禁門の変の際に焼失してしまい、昭和31年(1956年)に、雷電宮として再建されました。

あらゆる電気電波関係の業界発展を祈願ており、電気関係のみでなくコンピューター関連の業界からも篤く信仰されています。そのためお守りも一風変わっていて、microSD御守で、普通にmicroSDとして使うことができ容量は2GB、変換用のアダプタも付いています。中には御本尊のjpg画像が入っており携帯電話の待ち受けにすることができます。


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