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北海道が現在に至るまでの魅力的な歴史

北海道は津軽海峡で本土と分断されているほか、気候の厳しさなどもあって古くから独自の文化を形成してきました。

明治期以降には沢山の開拓民が入植し、未開の土地は目まぐるしい早さで生まれ変わりましたが、入植民によってもたらされた旧来の文化と土着的な文化が融合したことで、新たな文化が生まれたことも大きな特徴です。

例えば北海道の結婚披露宴は会費制となっているため、出席者の全てが同じ金額の会費を支払い、会費以外のご祝儀を包む必要がありません。

これは、入植したばかりの開拓民が当時貧しかったため、皆でお金を出し合ってお祝いしてあげようという気持ちから始まったものです。取りまとめを行う人は現在では発起人と呼ばれ、親しい友人など数名が発起人になり、結婚前に必要な各種の煩雑な作業を新郎新婦に代わって行っています。

このように、現在も残っている北海道の独特な文化は、歴史と深く関係しているものが少なくありません。

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北海道の歴史

かつて北海道は、蝦夷や蝦夷ヶ島と呼ばれていました。蝦夷という言葉は昔の北海道そのものを指す場合もありますが、和人以外の人という意味もあります。

先史時代の北海道の歴史

先史時代の本州以南では、旧石器時代や縄文時代の後に水田稲作農耕を中心とした弥生時代を迎えましたが、蝦夷地には稲作が伝わらなかったため、漁業や狩猟など縄文文化の特徴をそのまま引き継ぎ、この時代は続縄文時代と呼ばれています。

但し、本州との交流があったことが窺い知れる遺跡類が各地で出土していることから、本州と完全に分離されていたわけではなく、弥生文化の影響を受けつつ発展した独自の文化とされています。

縄文時代の北海道の歴史

続縄文時代の後の6世紀から7世紀頃、北日本では擦文土器を伴った擦文時代が成立しましたが、その一方で同時期に発生したアイヌ人によるアイヌ文化も大きな特徴の一つです。

アイヌ人は元々蝦夷や千島列島、サハリンなどに住んでいた土着民で、和人が進出するまで独特な文化を築き上げました。日本の「八百万の神」はあらゆる物に神が宿るという独自の信仰ですが、アイヌ人にも「カムイ」という類似した信仰があります。

カムイとは、火や水、太陽や海などの人間の力が及ばないものを神と崇め敬うもので、熊など動物を殺した際には、その魂を神々の世界へ帰すための儀式「イオマンテ」が行われていました。

アイヌと北海道の歴史

地名もまた特徴の一つで、北海道の地名にはアイヌの言葉を語源としたものが多く、今でも各地に残っています。旭川の神居古潭はカムイコタンと読みますが、この地名にはアイヌ語で神様の里という意味があります。

但しこの場合の神は良い神ではなく、この地には水深の深い川があるため難所とされ、アイヌ人は魔神を意味するニッカネムイの仕業とし、このような地名を付けたという説もあります。

現在でもアイヌ文化に関する研究が続けられているほか、博物館や資料館などでアイヌ文化の一端を知ることができます。

平安時代の北海道の歴史

和人とアイヌ人の接触は平安時代に始まったとされ、現在の秋田県のあたりに位置していた出羽国は、積極的にアイヌとの交易を行っていたことが資料からわかっています。

室町時代以降の北海道の歴史

室町時代以降は、十三湊を本拠地としていた安東氏によりアイヌ人との交流が活発化したほか、箱館や志海苔館など十二館が現在の道南地方に築かれ、江差を中心として徐々に和人が進出するようになりました。

反面、和人とアイヌ人との間でしばしば衝突が起きるようになり、1457年には和人の鍛冶屋に小刀を注文したアイヌ人との間で口論が起き、和人がアイヌ人を刺殺してしまいました。

この事件をきっかけとしてアイヌ人が蜂起、コシャマインの戦いが発生し、茂別館と花沢館を除くほとんどの館がアイヌ人によって攻め落とされましたが、蠣崎氏の客人として滞在していた武田信広がコシャマイン父子を討ち、アイヌ人の蜂起を鎮圧しています。

江戸時代の北海道の歴史

この戦いのあと、本拠地を松前に移した蠣崎氏が勢力を増大し、江戸期には松前藩として蝦夷を治めていきます。

蝦夷の交易権を独占していた松前藩は、江差港や松前港、箱館港をその支配下に置き、ニシンやサケなどの豊富な海産物は北前船で各地に運ばれました。

これらの交易で得た利益により松前藩は大いに発展し、「江差の五月は江戸にもない」と言われるほどの繁栄を見せました。江戸幕府が終焉を迎えた際には、旧幕府軍が箱館の五稜郭に立てこもり、新政府軍との間で箱館戦争が繰り広げられました。

江戸末期には安政五カ国条約により箱館港が開港されたことで、道南の中心地は箱館へと移りました。この時に多くの外国人の居留地となった箱館は、和風と洋風の建築様式が混在した和洋折衷など、異文化の流入により独自の文化圏を築き上げ、当時の観光資源により現在でも多くの観光客が訪れる日本でも有数の観光地となっています。

明治時代の北海道の歴史

明治4年以降は札幌が道内の中心地となり、多くの開拓民が入植しました。

開拓の際にはアメリカから優秀な技術者を招聘し、その頃に受け継いだ西洋式の先進的かつ大規模な農業技術は今の北海道に受け継がれ、日本の重要な食料庫として、またグルメ大国としての地位を築き上げることに繋がりました。


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