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五稜郭の観光の見どころとより楽しむための事前知識

五稜郭は江戸時代末期に江戸幕府により蝦夷の箱館、つまり現在の北海道函館市に作られた五芒星型の城郭のことです。

もともとは幕政時代、函館奉行所がありました。日米和親条約の締結によって函館港が開かれたことによって函館の重要性を再認識した幕府は函館奉行所を現在の五稜郭とは全く異なるところに置きました。

しかし、二代目函館奉行であった堀利煕はこの奉行所が外国人も登ることができる函館山から一望できることと、四方に遮るものがないという二点の防衛上の問題を理由に奉行所を堅牢な守りを誇る城郭内へ移転させる計画を打ち立てます。これが今日の五稜郭です。

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五稜郭の歴史

大きな城郭を作る土木工事や堀を作るための水道工事を行うために多くの人が投じられ、函館は一時貿易港としてのみならず工事労働者でも賑わい大きな発展を見せました。

このとき新築された奉行所は大変に大きいものでした。そのため、のちに奉行所を復元する、という段になったとき1000平方メートル毎に防火扉を設置しなくてはならないという建築基準法の制限を受けることになり、防火扉が奉行所の景観にそぐわなかったため、1000平方メートル以内に収まるように奉行所の復元が行われました。

現在見ることのできる復元された奉行所よりも大きな奉行所が江戸の当時は建っていたことになります。当時の箱館の栄華を象徴するような話です。

五稜郭と幕府軍

移転は成功しましたが、奉行所移転からわずか2年で幕府が倒れます。幕府の出先組織である奉行所もその役目を終え、同じ場所に函館府が置かれ、函館の政治的な中心を担っていました。

旧幕府軍と新政府軍の戦いである戊辰戦争の火蓋が切って落とされると、連戦連敗の旧幕府軍は開戦時に関東で構えていた戦線はじりじりと引き下がっていき、東北を北上し、津軽海峡を越え函館の地まで敗走しました。このとき、かつて新選組鬼の副長として名を馳せた土方歳三擁する旧幕府軍が最後に立てこもったのが五稜郭です。

このとき、無人の城郭へと侵入した旧幕府軍でしたが、当時は未だ城郭は完成と呼べる状態ではありませんでした。冬の間新政府軍が攻めてこないことをいいことに補修や整備を行った旧幕府軍は今日に残る城郭を完成させたのです。

しかし、所詮は敗走を繰り返してきた幕府軍の残党に過ぎませんでしたので、新政府軍の並べた砲台にはなすすべもなく敗れ去り、城郭は新政府に返還されました。これが有名な箱館戦争です。
新政府に引き渡されたのち、明治時代の五稜郭は練兵場として利用されることになります。

桜の名所としての五稜郭

大正2年、公園として無料で開放されるとソメイヨシノの苗木が毎年植樹され、もはや軍や政府の施設というよりは今でも北海道有数の桜の名所として知られる公園という側面がこの頃から強くなります。

そして現在にかけて整備は進み、城郭の南隣に高さ60メートルの初代タワーが建造され、城郭を一望することができるようになりました。

現在は2006年に作られた新しい107メートルのタワーにその役割は取って代わられており、そのタワーそのもののライトアップが始まるなど公園としての色合いはさらに濃くなっていき、観光名所としての今の姿に至ります。

五稜郭の管理

また、文化庁の国有財産に認定されており、「五稜郭と箱館戦争の遺構」として函館市が現在管理しています。

箱館戦争を模し、旧幕府軍や新政府軍に扮して練り歩くパレードである維新パレード、土方歳三の物まねの優劣を競う土方歳三コンテスト、市民ボランティアが函館の歴史を演じる市民創作函館野外劇など様々な催し物の会場となっており、観光客のみならず市民にとっても交流の場として認識されています。また、こういった歴史的、あるいは文化的背景も手伝い、ミシュラン・グリーンガイド・ジャパンでは二つ星を獲得しています。

五稜郭の構造

構造としては主に土塁と堀、石垣からなっており、防衛拠点としての特徴を色濃く残しています。

他にも函館を取り仕切る奉行所、厩という馬小屋、兵糧庫や役人の邸宅などが建設されましたが、当初の予定に合った設備の一部は財政難などの理由から作られず、そのため防衛設備も箇所によって程度の差があるという様子になっています。

城郭に奉行所があった当初は外国の脅威もそれほどでも無い、とされていたことも手伝って砲門が作られておらず、品格的に砲門が設けられたのは戊辰戦争で旧幕府軍が函館に立てこもった時からです。現在でも公園内に旧幕府軍が使用したイギリス製のブラッケリー砲を模した石像と、函館湾海戦で用いられた新政府軍の軍艦である朝陽に搭載されていたドイツ製のクルップ砲を模した石像が置かれています。

戊辰戦争関連の遺構が多いですが、第二次世界大戦中に男爵芋が人々を飢えから救ったことを記念する石碑や、桜の本数が1万本に達したことを記念する公園としての側面に光を当てた石碑なども設けられているほか、桜に負けず劣らずの見事さを誇る藤棚が園内にあるなど、歴史を知る人も知らない人でも楽しめる公園となっています。


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