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クラーク像の立つ羊ケ丘展望台の魅力

札幌市街地の南東にある小高い丘の上では、広い草原で羊たちが草を食んでいます。この緩やかな丘の上に立っているのが、「少年よ、大志を抱け」で有名なクラーク像です。

ここは札幌を象徴する観光地の一つ、羊が丘展望台。クラーク像のそばに立つと、羊のいる草原や札幌ドーム、市街地や石狩平野を一望のもとに見渡すことができます。

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札幌市内のクラーク像

クラーク像は札幌市内にいくつかありますが、羊が丘展望台以外では北海道大学古河記念講堂前の青銅製の胸像が有名です。

羊ケ丘の像ができる前までは、この胸像を見るために観光バスが北海道大学にたくさん乗り入れ、大学の研究活動に支障が出るほどでした。そこで、クラーク博士訪日100周年でアメリカ合衆国建国200年にあたる1976年、この丘にクラーク像が建てられたのです。

クラーク博士とは

クラーク博士ことウィリアム・スミス・クラークは、1826年アメリカ合衆国マサチューセッツ州で医者の家に生まれました。アマースト大学で化学を学び、ドイツのゲッティンゲン大学へ留学したのち、20代でアマースト大学の教授となり、化学、植物学、動物学を教えました。

この頃、日本からの留学生だったのが新島襄です。マサチューセッツ農科大学の学長を務めていた1876年7月のこと。クラーク博士は新島襄の熱心な紹介による日本政府からの要請に応え、学長の仕事を1年間休み、札幌農学校の初代教頭として来日しました。

1877年5月まで札幌農学校を実質的に取り仕切り、学生たちにたいへん慕われます。

札幌農学校に在籍した人物

札幌農学校の1期生は16名で北海道帝国大学総長や実業家、牧場主等になり、クラーク博士の築いた校風のもと第2期生として在籍した学生には、内村鑑三、宮部金吾、新渡戸稲造等がいました。

ちなみに当時の卒業生の伊藤一隆氏は北海道水産業の功労者で、タレント中川翔子の祖母の祖父です。また札幌農学校でクラーク博士の薫陶を受けた学生たちは、「イエスを信ずる者の契約」に署名してクリスチャンとなり札幌バンドと呼ばれ、横浜バンド、熊本バンドと共に日本のプロテスタントの3大源流となりました。

少年よ、大志を抱け

「少年よ、大志を抱け」の言葉は、現在の北広島市にある島松の駅で、学生たちとの別れ際に述べられたものです。実際には「少年よ、大志を抱け、この老人のごとく」だったとも言われています。

また卒業生たちとクラーク博士との間には、この後も数多くの手紙のやりとりがあり、心のつながりの深さを物語っています。帰国後は自分も学生たちの手本たるべく大志を抱いたためか、事業を起こして失敗し、心臓病のため59歳で亡くなりました。

しかし近代日本を築いた人々に大きな影響を与えたことには間違いありません。

クラーク像と羊ヶ丘展望台

羊ケ丘展望台には、学生達に深く慕われたクラーク博士の姿が、彫刻家坂坦道氏の手による全身像として建ち、かかげられた右手の先には、遥か彼方に永遠の真理があるとも言われています。

クラーク像に見守られた羊ケ丘展望台には、他にも素敵な施設があります。ラベンダー畑と白樺林に囲まれた白い教会、ブランバーチチャペルは、夫婦愛の女神の木である白樺にちなんで名づけられました。

羊ケ丘レストハウスでは、本場のジンギスカンを味わうことができ、美味しいソフトクリームや、鮭いくら弁当、味噌ラーメンなどの軽食も用意されています。

オーストリア館は、札幌の老舗珈琲店宮田屋のカフェや、羊のぬいぐるみが人気のお土産物屋さん、面白写真館、占いコーナー等のある休憩所です。また道内各地の温泉を運んできて無料で提供されるほっと足湯もほっこりできるくつろぎスポット。

1950年からの歴史を持つ札幌雪まつりを様々な展示やビデオで紹介する、さっぽろ雪まつり資料館も興味深い施設で、1972年に開催された冬季札幌オリンピックの資料も数多く展示されています。

また羊ケ丘展望台には、往年の大スター石原裕次郎の「恋の街札幌」の歌碑もあり、石原裕次郎と作曲家浜口倉之助の小さな銅像がのっています。

クラーク像の台座には投函口があって、「大志の誓い」という用紙に大志を書いて投函すると、札幌観光協会が大切に保存してくれます。歳月がたってから訪れ、投函年月日と氏名を伝えると、過去の自分が書いた大志を読むことができるようになっています。

羊ヶ丘展望台と日本ハムファイターズ

そして羊ケ丘展望台には、2004年6月に設置された、北海道日本ハムファイターズ誕生記念碑があります。

札幌ドームを望む位置にあるこの記念碑には、日本ハムファイターズが札幌にきて初めての開幕戦、2004年4月2日の試合でベンチ入りした監督、コーチ、選手等40名の手形とサインがレリーフとなって飾られています。

当時の監督はトレイ・ヒルマンで、坪井、新庄、小笠原、セギノール、金子誠、田中幸雄、金村暁等がいました。この日の試合は西武・松坂投手から5点をとって勝利。新庄が背面キャッチしたボールをスタンドに投げ入れるなど、はつらつとしたプレイに北海道のファンが湧きました。

北の大地の羊ケ丘には、今日も爽やかな風が吹いています。日本ハムファイターズの爽やかさにも通ずるこの風は、その昔、1876年にクラーク博士が巻き起こした風かもしれません。


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