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京都智積院の美しい庭園と観光のみどころ

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京都市東山区の七条通と東大路通の交差点部分に位置する智積院は真言宗智山派総本山の寺院で、慶長3年(1598年)に建立されました。智積院のみどころは境内にある庭園と、寺内に所蔵されている貴重な美術品です。

境内にある庭園(智積院庭園)は非常に見事に作られており、名勝にも指定されています。この庭園は造営された当時から「東山でも随一の庭」と言われるほど見事な庭園でした。

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智積院の歴史

庭園の歴史ですが、当寺が建てられる前に、この場所には豊臣秀吉が3歳で死去した鶴松のために建てた祥雲寺というお寺がありました。祥雲寺は天正19年(1591年)、妙心寺の僧・南化玄興を開山者として招いて建立した寺です。現存する庭園の原型となる庭は前身の祥雲寺の庭園として整備されたものです。

この庭園を造ったのは、京都でも各所に作品を残している名作庭家であった小掘遠州です。遠州はこの庭園を設計する際に、祥雲寺が建てられた頃は既に自害していた千利休が好むであろう庭園を思い描いて設計したと伝えられています。そのため、この庭園は「利休好みの庭」と呼ばれるようになりました。

築山・泉水庭の先駆をなした貴重な遺産

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この庭は築山・泉水庭の先駆をなした貴重な遺産で、土地の高低を利用して築山が築かれています。庭園の築山は中国の「廬山」を、池は「長江」をモデルにしているとされています。山の中腹や山裾には石組みが配置され、変化をもたせています。大書院から池や築山を眺めることができるように設計されています。

大書院から眺めると池が川のように左右に細長く広がり、長江をモデルにしたことがわかります。書院からは池の手前側の岸が見えないようになっています。これは平安時代の寝殿造りの釣殿床のように、書院の床が水の上に浮いているように見えるようにしたものです。

現在は書院のすぐ前に池の岸がありますが、昔はこの庭は「池水回遊式」の庭になっていて、大書院の建物が本当に池の上に建てられていました。そのため書院の床が地面から浮いていたり、建物の渡り廊下が橋になっているのです。現在は建物の下に池はありませんが、かつて池であった場所には白砂を敷き詰めて枯山水の庭を見ることができます。

サツキの名所としての智積院

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庭園の池の周囲や築山に目を向けると、丸くボール状に刈り込まれたサツキを目にすることができます。毎年5月~6月頃に色鮮やかな花を咲かせ、サツキの名所として知られています。秋になると萩の花や、紅葉風景も見ることもできます。四季折々の自然の風景を眺めることができるのです。庭園は横に広がっていますが奥行きはあまりありません。それでも植え込みや石を巧みに配置することで遠近感が強調され、奥行きがあるように感じさせているのです。

長江をモデルにした池の水は緑色に濁らせています。これは、庭園の緑が池の水面に美しく映し出されるようにするための演出です。庭園の中には僧侶らしい形をした岩(羅漢石)があり、その奥の方には小さな滝があります。この滝には「水が流れ去る」、すなわち「法」の字を表す意味が込められています。境内にある庭園は一般公開されているので見学することができます。

智積院の美術品

智積院のみどころは庭園の他に、宝物庫に所蔵されている多くの美術品です。境内には障壁画を中心に多くの美術品が所蔵されていて、国宝や国の重要文化財に指定されています。これらの宝物庫は庭園と共に有料で(大人500円・高校生300円・中学生300円・小学生200円、午前9時~午後4時、休刊日12月29日,30日,31日)公開されているので、訪問の際に実物を見ることができます。

現在は当寺に所蔵されていて、国宝に指定されている長谷川等伯一派の障壁画は前身となる祥雲寺の客殿を飾っていたものでした。祥雲寺の客殿は天和2年(1682年)の火災で全焼しましたが、障壁画については大部分が助け出されました。現存の障壁画の一部に不自然な継ぎ目がありますが、これは火災から救出された際に焼け残った部分を継ぎ合わせたものです。

智積院の必見の美術品「桜図」「楓図」

智積院を訪問した際に必ず見ておきたい美術品は「桜図」「楓図」(国宝)をはじめとする桃山時代(16世紀)を代表する豪華絢爛な障壁画です。

「桜図」は長谷川等伯の子・久蔵が25歳の時に描いた作品で、金箔をふんだんに使った絢爛豪華な背景の中に力強い桜の大木が描かれており、絵の具を盛り上げることで、桜の花弁が大胆に表現されています。久蔵はこの「桜図」を描いた翌年に若くして亡くなってしまいました。

「楓図」は長谷川等伯が55歳の時の作品で、「桜図」を描いた翌年に亡くなった息子久蔵の死を悲しんで創作意欲を失いかけたものの、息子の分まで精進しようと鼓舞して描き上げたと伝えられています。楓の古木が力強く枝を広げ、木の下のほうには様々な草花が描かれています。他にも「松に秋草図」「松に黄蜀葵図」(国宝)、「松に梅図」「松雪の図」(国の重要文化財)など、豪華絢爛な桃山文化の代表する襖絵を見ることができます。


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